ブログの更新がすっかり遅くなってしまい、本当に申し訳ありませんでした。
3月11日に地震が起きて以来、なかなか続きが書けなくなってしまいました。そして、この旅ブログは、今回で最後にしたいと思っています(思っていました)。本当は全12回の予定が、震災で1回増えてしまったのです。とは言え、これまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました。書いてきた自分の経験は、いつか誰かに伝えたいと、思っていたことばかりです。そのことが皆様にどれだけ共感を得たのか、何かの役に立ったのかは分かりませんが、時々、「読んでいますよ」という声を掛けてくれた方々がいたことを本当に嬉しく思っています。それでは、今日は旅の最後について書かせてもらいます。
「始まりのあるものには、すべて終りがある」。
ある映画でのセリフがとても印象的でしたが、僕の旅もまた終りを告げようとしていました。若気の至りか27歳の時に思い切って会社を辞め、長期の海外旅行に出発したのですが、気候のせいか、疲れのせいか、旅の終盤では体調不良が重なりました。旅の終盤、ローマではずっと病床に伏せ、寝たままで動けなくなってしまいました。結局、念願のバチカンにも行けず、まさに『ローマの休日』状態です。しかし、期日も迫っていたので飛行機に乗り、アジアのハブであるバンコクに着く頃には、温暖な気候のせいか体調も幾分か良くなりました。アジアへ寄った理由は、僕はこの旅の最後に、もう一度だけインドのベナレスに立ち寄ってみようと考えていたのです。
バンコクからインドのデリー、そしてベナレスに到着し。行き着けの安宿に着いた時には、回復したかに思われていた僕の体調は急激に悪化しました。夜中、高熱と悪寒にうなされ、激しい咳が止まりません。自分の体が壊れてしまいそうな苦しみです。一夜もがき続けた翌朝、僕は現地の病院にそのまま入院することになりました。点滴を受けて、薬を飲んで安静にしていると、数日後には不思議と体調は回復し、何とか無事に退院することができたのです。ところが病明けの体で、ぼんやりとガンジス川を眺めていると、ふと、「自分はなぜ、ここに居るのだろうか?」という疑問が込み上げました。そして、今まで経験したことの無いような強い喪失感が僕を襲ったのです。それは、今までは知らない土地を訪れては、様々なものを見たり感じたりすることが、とても感動的だった旅のプロセスが、今はもう何も感じることができなくなっている自分に気付いたのです。この感覚によって、この旅は、自分の中で一つの終焉を迎えたことを確信したのでした。
長かった旅もとうとう最後のフライトとなりました。ベナレスを去り、バンコクから関西空港へ到着した時のことです。久しぶりに飛行機の窓から見えた、懐かしい故郷の景色を見ていると、何かこれまでとの違和感を覚えたのです。それは住み慣れたはずの自分の街が、どこか"遠い国"の様にしか見えなかったことです。僕はベナレスでの喪失感が、今も自分の中で続いていることを自覚しました。生まれ育ったこの街が、自分に対して冷たく無反応であることに対して、悲しみ、怒り、そして半ば諦めの気持ちを抱えながら、僕は自宅へ向かうバスに揺られていました。すると突然、自分の中に思いもしなかった言葉が浮かび上がってきたのです。
「トウキョウ、トウキョウ・・・」。
それは、これまでほとんど行ったことも無い都市の名前でした。僕はあまり詳しくないその街の名前を呟きながら、何となく、これから、その街に行ってみるのもアリかなと考えていました。
以上が、旅の最後になります。自分自身のつたない経験と文章にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。それではここで、これまで書いてきたことをまとめる意味で、旅によって得られたこと(メリット)を簡単に整理したいと思います。
1)異文化から日常では味わえない、大きな刺激(感動)と人生経験。
2)歴史的な都市や建造物、美術作品など"本物"に触れることができる。
3)色々な旅人との一期一会から、色々な生き方に触れることができる。
4)1人の時間を通じて、自分と向き合うことで"自分を知る"ことができる。
5)帰ってくると大きな充実感と達成感により、なぜか自分に自信が持てる。
このように考えますと、僕は旅から色々なモノを受け取ったと感謝しています。旅を経験するには、少しの時間とお金、そして少しの勇気が必要です。ですが実行すれば人生経験を豊かにする"お徳な"チャンスに溢れています。「可愛い子には、旅をさせろ」と言いますが、この"可愛い子" とは自分自身のことだと思えれば、自分に旅をさせてあげるのも、悪くないのかもしれません。私たちの仕事は常に"投資"が必要です。この投資先は自分自身のことです。自分への投資をしなければ、自分の未来は枯れるだけです。プロフェッショナル クリエイティブブログ。この変化の時代において、自分を成長させるために、自分自身に多くの経験を積ませて、人間的にもスケールの大きなクリエイターが、たき工房から多く育ってくることを願って、このブログを終了します。どうもありがとうございました。(vol13 了)。
チャンディガールはインド北部のパンジャーブ州、デリーから鉄道で北へ数時間の場所にあります。もともとパキスタンとの紛争で複雑な理由があり、20世紀半ばにインド側とパキスタン側に分断された場所が、ここに新しい都市をつくり直すきっかけとなったそうです。この街にやってきて最初に気づいたことは旅行者がどこにもいないことです。そしてインドではよく見掛ける物乞いの姿も見当たりません。どうもインドでも最先端のお金持ちが集まってくる豊かな都市に、1人紛れ込んだようです。
まずチャンディガールという街には、1つ大きなコンセプトがあるということです。
さて、今日のテーマは『自分の壁』です。
人間にはもちろん現実的な意味で能力の限界もあり、どれだけ頑張ってもクリアできないこともあると思います。しかし、ほとんどの場合は「踏み出せばできることを、ただ踏み出さないでいる」ことが多いように思えます。多くの人の成長を妨げている壁は、実は自分で規定してしまった『心の壁』が影響しているように思います。それを取り払うためには、自分をいつまでも見捨てない気持ちと、一歩を踏み出す勇気があれば道は開けるかもしれませんね(vol.11 了)。
以前、世界的に活躍している建築家が、若い頃にどのような努力をして成功したのかを調べたことがあります。その中でパリにあるポンピドゥー・センターを設計して有名になったイタリアを代表する建築家のレンゾ・ピアノは、これから将来、建築家を目指す若者に次のようなアドバイスをおくっています。それは、「一日のうちで、静かに自分を内観する時間を持ちなさい」というものです。がむしゃらに詰め込むばかりが成長することではない。自分が何を思い、何をやりたいのか。そうした自分との対話を通じて、自己を知り、自己を発見することが、成長の道標(みちしるべ)としては大切なことだと。しかし同時にレンゾ・ピアノは「現代人は、このような時間を取ることが非常に難しい状況にもある」とも話し、だからこそ「それを実行して欲しい」とも語っています(参考図書「建築家たちの20代」)。僕は若い頃、このレンゾ・ピアノの提言を非常に大切なメッセージとして受け止めた記憶が残っています。
話は少し横道にそれますが、僕は川が好きです。もっと言うと、川のある町が好きです。以前、京都の美しさに魅せられて、半年間1人で京都に住んだこともあります。これも今思えば、鴨川のある京都が大好きだったのだと思います。暇を見つけては、鴨川の辺りでボーっと時間を潰すことが、実に風流であり、豊かな時間でした。そして海外においては、僕はインドのベナレス(バラナシともいう)が大好きです。ここに僕はこれまで3度ほど訪れています。そこには世界的に有名な川が流れています。その川の名は『ガンジス川』。この川は酷く濁り、日本人がその生水を飲めば、恐ろしいくらいの下痢になるのは間違いないでしょう。なぜなら、この川では人々は洗濯もすれば、人や牛の糞尿も垂れ流している。さらには毎日、大量の死体を焼いてはそれを捨てているからです。そして、この川は別名「聖なる川」とも呼ばれています。その理由は、ここベナレスがヒンドゥー教の最大の聖地であるからです。人生の最後をこの地で終え、ここで焼かれ、この川に流される。そのことが最も尊いとされているからです。テレビで沐浴のシーンを見た人もいるかと思いますが、ここがその場所です。
僕はこの川が好きで、一日中、この川を見ていても飽きないです。薄汚れた茶色の水から、時々、巨大な淡水イルカが背中を出し、そこを旅行者らがボートで行き交います。裸で泳ぎまわる現地の子供達。その横でお母さんが洗濯をし、その横で糞尿が流され、そして死体が流れて来ます。その川の水を使ってつくられた屋台のチャイを飲みながら、いつまでもその川を眺めています。そうすると自分の命というものが、自分の想像より遥かに大きな運命(さだめ)の中にあり、「生」というものへの執着がだんだん無くなってきます。そして、この川を見ながら、これまでの自分の人生、これからの自分の人生のことを静かに考えます。今思えば、僕は正に「内観」をしていたのだと思います。このインドのベナレスという場所は本当に不思議な場所です。ここは様々な命が交錯し、また大きな命運を分ける地だと思います。仏陀が悟りを開き、説法を開始したのも、この場所だったと言われています。何か人生に大きなきっかけを与えてくれる場所です(参考図書「深い河」遠藤周作)。
こう意思表明をしたのは、安藤忠雄氏が24歳の時のことです(参考図書「安藤忠雄 建築を語る」より)。
はい。正解はトルコにある地名の名前です。
これが最初にカッパドキアを見た感想です。荒々しい大地の中、どこまでも続く地平線と大空。今まで見たことのないような、自然の風景に圧倒されそうです。後で分かったことですが、ここはあの有名な映画、スターウォーズのロケ地として使われた場所だそうです。まさに地球外の惑星にやってきた。そのような印象です。そしてこのカッパドキアに来て驚いたのが気温の変化です。朝と夜は室内でもセーター無しではいられない程の寒さですが、日中になれば外でも半袖で過ごせるほどの暑さです。そして地上のあちらこちらに廃墟になった洞窟があります。その昔、この洞窟の中に、大勢の人が住んでいたということです。僕が宿泊したホテルも、その洞窟を利用した、今まで見たことのないような不思議なホテルです。
さて、今年最後のプロフェッショナルブログのテーマは、「信じること、生きること」をテーマにしたいと思います。何か本当に宗教みたいなテーマになってきました・・。これは自分の職業に対して、どのくらい夢を持つか? という風に考えてみてください。デザイナーの可能性。営業の可能性。広告に携わることの可能性。自分の仕事には様々な可能性があります。そして、その可能性をどのくらい信じているか?それは裏を返すと、自分の可能性をどれだけ信じているか?ということになると思います。もし、今の仕事を、一時のお金を得る手段だと割り切って働いているとしたら、あなたは自分の仕事を信じていない。つまり、仕事では自分の未来に対して正直な振る舞いができていないことになります(意味を見出していない)。そのような仕事には熱意も無く、説得力もありません。自分の心にエネルギーが無いのに、人の心に訴える仕事は到底できないと思います。そして、そのような仕事をしている人というのは、生きていない。つまり仕事においては「自分を生かしていない」ということになると思います。ですから結果的に人は、「信じていないと、生きる(自分を生かす)ことは難しい」と僕は思います。これは仕事以外でも全く同じことかもしれません。
ギリシャの首都アテネにあるアクロポリスの丘には、パルテノン神殿を含め、多くの建築家がそうした"原型"を追い求めていった場所です。僕がこのアクロポリスの丘に興味をもったのは、有名な建築家らに、非常に大きな影響を与えたと知ったからです。彼らの伝記をたどると、「3日間に渡って、この丘を毎日登った」などと記されています。
しかし、このアクロポリスの丘にある建築物は、イメージの原型としては、大変奥深く、素晴らしいと感じました。人間にとってアイデアというものは、実は"模倣"にすぎないといいます。これは、何かを考えて、構築(表現)するという行為は、人が生まれてから、見たり、聞いたりしたものがベースにあるという考えです。クリエイターが、多くの写真集や作品集を日課として目にするのも、そうしたベースとなる経験を蓄えることが重要だからでしょう。そうした視点で考えると、学びの参考となる作品自体が、あまり商業的に手がこんだものや、作り手の意図が強すぎるものは、却って受け手のイメージを阻害し、創造性を邪魔するのではないかと思います。そうした観点から考えると、アクロポリスの丘は、創造性溢れるパワーを強く与えてくれますが、さりとて受け手のイメージにほとんど制約を与えることはありません。おそらくこれ以上の"原型"は世界にそうないのではないかと思いました。多くの建築家を惹きつけたのは、そのような理由かもしれません。
このブログで何度も登場した、ル・コルビジェも『輝く都市』という本を執筆し、人々が生きていく上でのユートピア(理想郷)とは何なのかを言及していくようになります。つまり、それだけ人間が生きていくうえで都市のあり方は大変重要なものがあり、人々の価値観や成長、場合によっては精神性にも大きな影響を与えるものだと思います。そうした観点で考えると発展した都市、新たな人々のエネルギーを生み出す都市というものは、その都市自体が魅力的であり、人々の生き方を後押しする仕組みが機能しているのだと思います。
こうしたことと、ウィーンの都市構造の変遷にどれほどの因果関係があったのかは、僕も何ともいえないのですが、想像するに人間の創造性を喚起する原動力を、この街が生み出していたことは間違いないと思います。当時を振り返ると、人と人の行き来を遮断していた壁が、突然に道(導線)に変わってしまったことを、おそらく皆が歓迎した訳ではないと思います。なぜなら壁というものを介して、富裕層には利得権益も同時に守られてきた側面があったはずです。おそらく最初は、コミュニケーションどころかコンフリクト(衝突)となって、人々の意識に大きな課題を与えたに違いありません。しかし、文化的な発展の過程には、こうした望まない、他者との確執を乗り越えることによって、それまで自分が持っていなかった価値観が生まれ、それが新たな躍動を遂げるきっかけになったのだと思います。これと似た事例はウィーンだけでなく、日本も経験しています。黒船の来航による文明開化がそれです。割と最近では、ドイツで89年に起きたベルリンの壁の崩壊も類似の事例かと思います。
さて、気持ちを取り直して僕はモナコに向かいます。
スーツの無い僕は自分も一緒に入れるか不安だったのですが、どうにか彼の後ろに小さくなりながら入場することができました。そのカジノはモナコの中でも一等地の、豪華な洋館のような建物の中にあります。中に入ると静寂の中、ルーレットを中心に客が周りを取り囲んでいます。いかにもお金持ち風の客層の中に意外にも若い少女のような子がルーレットに参加しています。その少女のお金の賭け方が半端でなく、凄い金額を次々とベットしていきます。きっとどこかの大金持ちのお嬢様が遊びに来ているのでしょう。そうした怪しい雰囲気の中に、そのNくんが突入していき、大胆にもベットしていきます。ルーレットには赤か黒という単純な賭け方もあれば、限られた数字を予測するというピンポイントでの賭け方など色々とあるのですが、Nくんの賭けはことごとく予測を外れ、彼の旅の資金は次々と消えていきます。熱くなった彼は、その資金を取り返そうとブラックジャックやスロットマシンなどで挽回に掛かりますが、何をやっても勝てず、とうとう旅の資金の相当な額を失ってしまったのです。落胆したNくん。彼はカジノの厳しさを体感し、また自分の行動が旅の計画を狂わすような事態に陥ったことに後悔をします。
ところが、そのNくんが大変なことを言い出したのです。
昨日の負けを十分、それ以上に取り返したという結果です。信じられないという気持ちと、興奮を抑えきれない様子で僕らはカジノを後にします。その晩、2人で祝杯をあげたのは言うまでもありません。もちろん彼の奢りです。気持ちの良い酔いの中でNくんは自分の夢を語ります。「いつか東京でレストランを開業したら来て欲しい」。そういって彼は僕にアドレスを渡してくれました。翌日、僕はモナコを去り、それっきり彼には会っていません。でも大胆な彼の性格と、屈託ない明るい彼の人柄を考えればきっと、どこかで夢を叶えているに違いありません。
パリ周辺で10日間ほどの観光を満喫した僕は、あの有名なガウディに出会おうと、夜行列車に乗ってパリから一路スペイン、バルセロナを目指しました。当時、ガウディに対する予備知識はほとんどなく、現地に到着してまずその実物を見た時に、イエス・キリストの姿が刻まれているのを発見し、「これは"教会"であった」とはじめて知り驚いたのを覚えています。
しかし、このサグラダ・ファミリアの最も恐るべき点は近代初期の1882年の着工から未だ完成せず、予定ではまだ250年あまりの歳月が必要とされるという点です。現在、墨田区で建設途中の東京スカイツリーがおよそ5年程度で完成することを考えれば、その歳月はいったい何倍でしょうか?
さて、今回のテーマで僕は"プロセス"に着目してみたいと思います。