皆様、お久しぶりです。

ブログの更新がすっかり遅くなってしまい、本当に申し訳ありませんでした。
3月11日に地震が起きて以来、なかなか続きが書けなくなってしまいました。そして、この旅ブログは、今回で最後にしたいと思っています(思っていました)。本当は全12回の予定が、震災で1回増えてしまったのです。とは言え、これまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました。書いてきた自分の経験は、いつか誰かに伝えたいと、思っていたことばかりです。そのことが皆様にどれだけ共感を得たのか、何かの役に立ったのかは分かりませんが、時々、「読んでいますよ」という声を掛けてくれた方々がいたことを本当に嬉しく思っています。それでは、今日は旅の最後について書かせてもらいます。


「始まりのあるものには、すべて終りがある」。

ある映画でのセリフがとても印象的でしたが、僕の旅もまた終りを告げようとしていました。若気の至りか27歳の時に思い切って会社を辞め、長期の海外旅行に出発したのですが、気候のせいか、疲れのせいか、旅の終盤では体調不良が重なりました。旅の終盤、ローマではずっと病床に伏せ、寝たままで動けなくなってしまいました。結局、念願のバチカンにも行けず、まさに『ローマの休日』状態です。しかし、期日も迫っていたので飛行機に乗り、アジアのハブであるバンコクに着く頃には、温暖な気候のせいか体調も幾分か良くなりました。アジアへ寄った理由は、僕はこの旅の最後に、もう一度だけインドのベナレスに立ち寄ってみようと考えていたのです。


vol13_1.jpgバンコクからインドのデリー、そしてベナレスに到着し。行き着けの安宿に着いた時には、回復したかに思われていた僕の体調は急激に悪化しました。夜中、高熱と悪寒にうなされ、激しい咳が止まりません。自分の体が壊れてしまいそうな苦しみです。一夜もがき続けた翌朝、僕は現地の病院にそのまま入院することになりました。点滴を受けて、薬を飲んで安静にしていると、数日後には不思議と体調は回復し、何とか無事に退院することができたのです。ところが病明けの体で、ぼんやりとガンジス川を眺めていると、ふと、「自分はなぜ、ここに居るのだろうか?」という疑問が込み上げました。そして、今まで経験したことの無いような強い喪失感が僕を襲ったのです。それは、今までは知らない土地を訪れては、様々なものを見たり感じたりすることが、とても感動的だった旅のプロセスが、今はもう何も感じることができなくなっている自分に気付いたのです。この感覚によって、この旅は、自分の中で一つの終焉を迎えたことを確信したのでした。


vol13_2.jpg長かった旅もとうとう最後のフライトとなりました。
ベナレスを去り、バンコクから関西空港へ到着した時のことです。久しぶりに飛行機の窓から見えた、懐かしい故郷の景色を見ていると、何かこれまでとの違和感を覚えたのです。それは住み慣れたはずの自分の街が、どこか"遠い国"の様にしか見えなかったことです。僕はベナレスでの喪失感が、今も自分の中で続いていることを自覚しました。生まれ育ったこの街が、自分に対して冷たく無反応であることに対して、悲しみ、怒り、そして半ば諦めの気持ちを抱えながら、僕は自宅へ向かうバスに揺られていました。すると突然、自分の中に思いもしなかった言葉が浮かび上がってきたのです。
「トウキョウ、トウキョウ・・・」。
それは、これまでほとんど行ったことも無い都市の名前でした。僕はあまり詳しくないその街の名前を呟きながら、何となく、これから、その街に行ってみるのもアリかなと考えていました。



vol13_3.jpg以上が、旅の最後になります。
自分自身のつたない経験と文章にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。それではここで、これまで書いてきたことをまとめる意味で、旅によって得られたこと(メリット)を簡単に整理したいと思います。

1)異文化から日常では味わえない、大きな刺激(感動)と人生経験。
2)歴史的な都市や建造物、美術作品など"本物"に触れることができる。
3)色々な旅人との一期一会から、色々な生き方に触れることができる。
4)1人の時間を通じて、自分と向き合うことで"自分を知る"ことができる。
5)帰ってくると大きな充実感と達成感により、なぜか自分に自信が持てる。

vol13_4.jpgこのように考えますと、僕は旅から色々なモノを受け取ったと感謝しています。旅を経験するには、少しの時間とお金、そして少しの勇気が必要です。ですが実行すれば人生経験を豊かにする"お徳な"チャンスに溢れています。「可愛い子には、旅をさせろ」と言いますが、この"可愛い子" とは自分自身のことだと思えれば、自分に旅をさせてあげるのも、悪くないのかもしれません。
私たちの仕事は常に"投資"が必要です。この投資先は自分自身のことです。自分への投資をしなければ、自分の未来は枯れるだけです。プロフェッショナル クリエイティブブログ。この変化の時代において、自分を成長させるために、自分自身に多くの経験を積ませて、人間的にもスケールの大きなクリエイターが、たき工房から多く育ってくることを願って、このブログを終了します。どうもありがとうございました。(vol13 了)。

vol.12 「震災による番外編」

1995年3月20日、21歳の僕は関西空港に来ていた。
これからバックパッカーとして生まれて初めての異国、そして生まれて初めてのインドへの旅立ち。しかし空港のテレビモニターはいつもとは違って慌しく、ある事件の様相を伝えていた。この日、オウムがサリンを撒いたのである。それを見ていると、自分の旅立ちに妙な胸騒ぎを感じた。本当は、大学の春休みがそろそろ終わるはずだったが、2ヶ月前の阪神淡路大震災の影響によって僕の大学は半壊し、授業再開の目処が付かない状態になっていた。その余暇を利用してインド行きを決めたのである。もともと海外などあまり興味を示さなかった自分が、急にどうしてそのようなことを思い立ったのか?それは、地震との関係があったと思う。地震が起きてから、自分の住む世界が一変した。今まで、自分が信じて生きてきたこの世界は、実はこんなにも脆く、儚いものだと知った。僕はこの世界に疑念を抱き、また「確かさ」を失い不安定となった。そして自分の肉体と精神が、そのことに代わるリアルを欲求していた。それがインドへの動機だった。

小説家の村上春樹が、この阪神淡路大震災をテーマに書いた短編集がある(「神の子どもたちはみな踊る」)。この小説は、震災そのものについては一切書かれていない。震災後の人々の心に与えた様々な悲しみ、心の葛藤について書かれた物語である。地震の影響が物質的な生活基盤だけでなく、人の心の中にどのように影響を及ぼしていくのかが非常に鋭く表現されている。また最近の彼のベストセラー「1Q84」。この本の中では主人公の青豆が、ある日を境に、今までとそっくりだが、どこかが違う別の世界に迷い込むところから物語がスタートする。この「何かが違う世界」に対する感性は、間違いなく地震のその後に、作家自身が感じたことが背景にあると思う。そのせいか、この本は小説とは思えない奇妙なリアルさが存在している。

当時、阪神大震災の後にもAC(公共広告機構)の広告が頻繁に流れていた。これを制作した関西クリエイティブスタッフのエピソードを聞いたことがある。彼らはその時、震災用のCMをつくるべきか?もしくはそのようなCMはつくらずに、あえて媒体枠を被災者リスト用として使ってもらうべきかで意見が大きく分かれた。企画にあたって時間だけが過ぎていく状況において、その中に居た僕の知り合いのH氏はチームスタッフにこのように話したという。「広告がこの震災のために何ができるか、あと1時間だけ話し合おう。それで良い案が出なければ、CMを流すことは諦めよう・・」。そう話したときコピーライターのI氏が思わずこう呟いたという。「人を救うのは、人しかいないからな・・」。H氏は、その言葉に反応したという。「それだ・・。それで行こう!!」。こうして、公共広告機構の名作CMが誕生した。当時、この広告は被災者達の心を随分、励ましたと聞いている。知らない人はぜひ参考に見てください。



今回、また大きな地震が発生した。阪神大震災より、遥かに大きな被害規模である。そこに原発の影響。このとてつもなく大きな変化の時代に、さらに追い討ちを掛けるような出来事だ。被災された方々はもちろん、日本全体がとても大きな試練に立たされていると思う。人を思いやる気持ちと、互いに助け合う考え方が最も必要だ。私たちは変わることができるか?それとも変わることができないのか?この2つの選択肢が、日本人の全員に突きつけられているように感じてならない(vol12 了)。
新年度がスタートしました。
広告業界もまだまだ変化が続きますが、明るい気持ちで前進したいと思っています。
今日は、以前ご紹介したル・コルビジェの考えた「輝ける都市」に行ったときの話です。
そんな場所が本当にあったとは僕も知らなかったのですが、あったのです。

僕は過去にインドには3回訪れたことがあると以前、告白しました。しかし、3回目のインド訪問は全くの計算外であり、偶発的な出来事によるものだったと思います。なぜなら僕が27歳で旅立ったヨーロッパ旅行の目的はル・コルビジェの設計したロンシャンの教会を訪れることであったという話は最初にお伝えしました。しかしル・コルビジェの考える理想郷「輝ける都市」が実はインドにその事例があったということを、ヨーロッパの旅に出る前にたまたま知ってしまったからいけなかったのです。自分が過去に2度も訪れたインドに、ル・コルビジェの考案した実際の理想郷がある。これは自分自身の盲点であり、また2度もインドに行った自分としては大失態であったと後悔しました。
結局、そのような事実を知ってしまった以上は我慢しきれず、およそ3ヶ月間のヨーロッパ旅行の最後にインドの北部にあるチャンディガール行きを無理矢理に決めたのです。まさにル・コルビジェというという1つのテーマが、3回目のインド行きを実現させることになったのです。

vol11_1 .jpg チャンディガールはインド北部のパンジャーブ州、デリーから鉄道で北へ数時間の場所にあります。もともとパキスタンとの紛争で複雑な理由があり、20世紀半ばにインド側とパキスタン側に分断された場所が、ここに新しい都市をつくり直すきっかけとなったそうです。この街にやってきて最初に気づいたことは旅行者がどこにもいないことです。そしてインドではよく見掛ける物乞いの姿も見当たりません。どうもインドでも最先端のお金持ちが集まってくる豊かな都市に、1人紛れ込んだようです。
僕はこの街を探索するために、宿泊していたホテルのオーナーから自家用車&運転手を貸してもらえることになり、街の本屋で手に入れたチャンディガールの地図を片手に、丸2日間に渡ってこの街を探索しました。そうした結果、見えてきた全容をお伝えしたいと思います。

vol11_2 (1).jpg まずチャンディガールという街には、1つ大きなコンセプトがあるということです。
それは都市全体を人間の「身体」として捉え、街を設計しているという点です。例えば道路は人間でいうところの血管。人やクルマはその血管を流れる血液です。商業施設は人々の生活を支える内臓機能。行政を司る施設は街のブレーン(頭脳)。実はこうしたル・コルビジェの身体の構造を手掛かりにする手法は以前からあり、有名な黄金比率と織り交ぜて"モデュロール"という彼独自の方式を考案しています。ル・コルビジェの建築の多くは、このモデュロールを利用して考えられており、こうした身体をモデルにした方法を都市計画にも応用している点は彼独自の手法であり、非常に驚くべきアイデアだと思います。
ところが実際にこの街を自分の足で探索してみると、意外と不便に感じることが多く、街自体も魅力に乏しいと感じます。近代都市の理想を、強引にインドという混沌とした国に持ち込んだズレが、無機質な都市空間を作ってしまったという印象です。ル・コルビジェの理想郷も、蓋を開けてみれば「意外とつまらない街」というのが個人的な感想でした。しかし、街全体に散らばる彼の建築自体はこのインドの北の大地で異才を放ち、圧倒的な迫力で僕に迫ってきました。人生の中でこれほどまでに建築に感動したことは無いほどの体験をすることができたことは、このチャンディガールを訪れることができて本当に良かったと思える点でした。

vol11_3 (1).jpg さて、今日のテーマは『自分の壁』です。

僕は自分という人間が大変つまらない性格(生真面目で、面白みに欠けている)と思っており、それがいつも自分の人生の邪魔をしていると考えていました。そのことから僕は次第に人間の『理性』について考えていくようになったのです。そしてそのことを確かめたく、ル・コルビジェのロンシャン礼拝堂に感心を持ち旅に出ました。近代合理主義を中心としたモダニズム建築の生みの親であるとも思われていたル・コルビジェ。そこには理性を中心とした世界が広がっていると思っていました。ところが実際に様々な彼の建築や都市空間を見てみると、彼のどの作品からもそのようなものを感じることはありませんでした(僕自身の感じ方です)。それどころかむしろ彼の建築はどれもが『感情』を剥き出しにしているとさえ思うようになったのです。
結局、僕ははじめから無かったものを、有るという思い込みによってこんなに遠くまで来たのでした。しかし、その発見により、実は理性というものは「合理的であろうとする自分自身の欲求(エゴ)」にすぎない。理性とは自分の『感情』でもあると解釈できるようになったのです。それに気付いた瞬間、僕はとても心が穏やかになり、長い間苦しんでいた自分の心の壁は目の前から消えていました。

vol11_4 (1).jpg 人間にはもちろん現実的な意味で能力の限界もあり、どれだけ頑張ってもクリアできないこともあると思います。しかし、ほとんどの場合は「踏み出せばできることを、ただ踏み出さないでいる」ことが多いように思えます。多くの人の成長を妨げている壁は、実は自分で規定してしまった『心の壁』が影響しているように思います。それを取り払うためには、自分をいつまでも見捨てない気持ちと、一歩を踏み出す勇気があれば道は開けるかもしれませんね(vol.11 了)。
今年最初のブログですが、いきなり皆さんに質問です。
社会人になった大人が自分自身を成長させるためには、どういう努力をしていくことが効果的だと思いますか? そのための方法として、ビジネスコンサルタントとして有名な堀紘一氏は、2011年1月号の雑誌『プレジデント』で次の3つが効果的であると述べていました。

まず一つ目は「読書」。
これはテレビや雑誌、ましてやネットではなく、書籍(本)であることが重要であると述べています。メディアが電子書籍や何であれ、本は筆者のエネルギーと情報が結晶化されている。それだけに価値の高いコンテンツである。ここから吸収することが最も効果的であるとのことです。

次に「旅行」。
旅行は普段の生活から離れ、非日常性(異質)を経験することで、自らの内面に多くの刺激を与え、そのことが発想力を伸ばす。なぜならクリエイティビティ(創造性)の本質は、「類推と順列の組み合わせ」であり、同質を離れ異質に触れることでそれが育つ。ちょっと難しい言い回しですね。

最後は「一流に触れる」。
これは絵画や美術品、著名人の講演など直接、自分の目で見ることがその人を育てる。メディアを通じてではなく自分から距離を詰め、実体験として一流に触れることが重要である。そのことが自分に一流の痕跡を残し、自分を磨くことになる。これは十分に理解できる話です。

さて、この3つのテーマに対して、皆さんはどのような感想を持ったでしょうか?
自分を成長させるためには、誰もが自分のために「成長戦略」を考え、実行せねばならないと思います。この堀紘一氏の取り上げた3つの切り口は、大人が学ぶには非常にスタンダードなものだと思うので、皆さんもぜひ参考にしてみて欲しいと思います。しかし、僕はこれらのテーマはどれも必要なことだとは思うのですが、本当は他にもっと大切なことがあるのではないかと思っています。

vol10_1.jpg以前、世界的に活躍している建築家が、若い頃にどのような努力をして成功したのかを調べたことがあります。その中でパリにあるポンピドゥー・センターを設計して有名になったイタリアを代表する建築家のレンゾ・ピアノは、これから将来、建築家を目指す若者に次のようなアドバイスをおくっています。それは、「一日のうちで、静かに自分を内観する時間を持ちなさい」というものです。がむしゃらに詰め込むばかりが成長することではない。自分が何を思い、何をやりたいのか。そうした自分との対話を通じて、自己を知り、自己を発見することが、成長の道標(みちしるべ)としては大切なことだと。しかし同時にレンゾ・ピアノは「現代人は、このような時間を取ることが非常に難しい状況にもある」とも話し、だからこそ「それを実行して欲しい」とも語っています(参考図書「建築家たちの20代」)。僕は若い頃、このレンゾ・ピアノの提言を非常に大切なメッセージとして受け止めた記憶が残っています。

vol10_2.jpg話は少し横道にそれますが、僕は川が好きです。もっと言うと、川のある町が好きです。以前、京都の美しさに魅せられて、半年間1人で京都に住んだこともあります。これも今思えば、鴨川のある京都が大好きだったのだと思います。暇を見つけては、鴨川の辺りでボーっと時間を潰すことが、実に風流であり、豊かな時間でした。そして海外においては、僕はインドのベナレス(バラナシともいう)が大好きです。ここに僕はこれまで3度ほど訪れています。そこには世界的に有名な川が流れています。その川の名は『ガンジス川』。この川は酷く濁り、日本人がその生水を飲めば、恐ろしいくらいの下痢になるのは間違いないでしょう。なぜなら、この川では人々は洗濯もすれば、人や牛の糞尿も垂れ流している。さらには毎日、大量の死体を焼いてはそれを捨てているからです。そして、この川は別名「聖なる川」とも呼ばれています。その理由は、ここベナレスがヒンドゥー教の最大の聖地であるからです。人生の最後をこの地で終え、ここで焼かれ、この川に流される。そのことが最も尊いとされているからです。テレビで沐浴のシーンを見た人もいるかと思いますが、ここがその場所です。
vol10_3.jpg僕はこの川が好きで、一日中、この川を見ていても飽きないです。薄汚れた茶色の水から、時々、巨大な淡水イルカが背中を出し、そこを旅行者らがボートで行き交います。裸で泳ぎまわる現地の子供達。その横でお母さんが洗濯をし、その横で糞尿が流され、そして死体が流れて来ます。その川の水を使ってつくられた屋台のチャイを飲みながら、いつまでもその川を眺めています。そうすると自分の命というものが、自分の想像より遥かに大きな運命(さだめ)の中にあり、「生」というものへの執着がだんだん無くなってきます。そして、この川を見ながら、これまでの自分の人生、これからの自分の人生のことを静かに考えます。今思えば、僕は正に「内観」をしていたのだと思います。このインドのベナレスという場所は本当に不思議な場所です。ここは様々な命が交錯し、また大きな命運を分ける地だと思います。仏陀が悟りを開き、説法を開始したのも、この場所だったと言われています。何か人生に大きなきっかけを与えてくれる場所です(参考図書「深い河」遠藤周作)。

それでは最後に日本を代表する建築家、安藤忠雄氏が若き二十代の頃にインドで経験した話を紹介したいと思います。彼も生まれて初めてヨーロッパ旅行の後、導かれるようにここインド、ベナレスにやってきたといいます。その時、彼はこのガンジス川を見つめながら、心の中である大きな決心をします。それが、以下のような内容です。

『人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通そう。闘いであるから、いつかは必ず敗れる時がくる。その時は自然に淘汰されるのに任せようと思う。自分の本職をもって、自由を奪うものに対して、自分の責任で、自分の力で社会と闘っていこう』

vol10_4.jpgこう意思表明をしたのは、安藤忠雄氏が24歳の時のことです(参考図書「安藤忠雄 建築を語る」より)。
僕はこの言葉から、彼が非常に大きな覚悟をもって自分の生き方を決意し、また同時に最終的な死をも覚悟したという点に注目しています。彼が内観により、自分の本質を見切ったことで、素直にそのように考えるようになったのではないでしょうか?彼が世界を舞台に活躍することと、そのように自分を深く見つめ、覚悟を決めたこととは深く関わっていると考えます。もちろん、彼は建築家として人並み以上の様々な努力もしているでしょうが・・・・・・

今年は、ますます大きく時代が変わる年です。
そして、その変化はますます加速度がついていくでしょう。皆さん1人1人も、自分自身の成長戦略を持ち、またそれを実行することが重要な年です。しかし何より重要なことは「自己をよく見つめる」。まず自分という原点を知り、そこから再スタートする。そうしたことを取り組んで見てはいかがでしょうか?そうすると、どのように時代が変わろうとも、自分の道をしっかり歩んでいけると思います。それでは今年も一緒に頑張りましょう。(vol.10 了)

そろそろ年の瀬も近づいてきました。
本当に慌しい日々が毎日続きますね。
何とか今年を無事、乗り切りたいです。

ということで今回は、今年で最後のブログとなります。
そして僕にとって今回がヨーロッパ最後の国となります。
皆さん、カッパドキアってご存知でしょうか?

カッパ?河童?

vol9_1.jpgはい。正解はトルコにある地名の名前です。
僕も詳しく知らなかったのですが、ここには幻の地底都市がある。そんな噂を聞きつけて、道中で知り合った旅人らと、そのカッパドキアを目指すことになりました。僕もこのヨーロッパの旅において、様々な都市や建築を見てきましたが、そのような地底都市というものは経験したことがなく、想像すらできません。そのような場所が実際にあるのなら、どうしてもこの目で見てみたい。そうした好奇心を押さえきれず、ギリシャで知り合った旅人らとこのカッパドキアを目指すことになったのです。ギリシャからイスタンブールまで夜行バスで移動し、イスタンブールからさらに一晩かけて移動。長い道のりの果てに、ようやくそのカッパドキアにたどり着きました。狭いバスの中、体を小さくして、浅い眠りから目が覚めた夜明け、鮮烈な朝の光によってカッパドキアはその姿を現しました。

「ここは、地球なのか?」

vol9_2.jpgこれが最初にカッパドキアを見た感想です。荒々しい大地の中、どこまでも続く地平線と大空。今まで見たことのないような、自然の風景に圧倒されそうです。後で分かったことですが、ここはあの有名な映画、スターウォーズのロケ地として使われた場所だそうです。まさに地球外の惑星にやってきた。そのような印象です。そしてこのカッパドキアに来て驚いたのが気温の変化です。朝と夜は室内でもセーター無しではいられない程の寒さですが、日中になれば外でも半袖で過ごせるほどの暑さです。そして地上のあちらこちらに廃墟になった洞窟があります。その昔、この洞窟の中に、大勢の人が住んでいたということです。僕が宿泊したホテルも、その洞窟を利用した、今まで見たことのないような不思議なホテルです。

そして期待していた地底都市も訪れたのですが、ここは都市というよりも、人間用の『蟻の巣』です。地下8F、深さ65メートル。中には台所や寝床、集会所、教会などが造られています。ところでどうして、このようなところに人が住んでいたのでしょうか? それは、実は悲しい歴史があります。3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧から逃れたキリスト教徒らが、人目を避けて生きていくために形成されたのがこの洞窟住居であり、信仰を守る場所がこの地底都市だったということです。このような歴史の背景の跡を実際に見ると、当時の宗教闘争の激しさと、信仰を守る人々の執念がいかに凄まじかったのかを実感します。今でも世界では信仰の違いによる宗教闘争は存在しますが、現代の日本においてはあまり考えられないことです。

vol9_3.jpgさて、今年最後のプロフェッショナルブログのテーマは、「信じること、生きること」をテーマにしたいと思います。何か本当に宗教みたいなテーマになってきました・・。これは自分の職業に対して、どのくらい夢を持つか? という風に考えてみてください。デザイナーの可能性。営業の可能性。広告に携わることの可能性。自分の仕事には様々な可能性があります。そして、その可能性をどのくらい信じているか?それは裏を返すと、自分の可能性をどれだけ信じているか?ということになると思います。もし、今の仕事を、一時のお金を得る手段だと割り切って働いているとしたら、あなたは自分の仕事を信じていない。つまり、仕事では自分の未来に対して正直な振る舞いができていないことになります(意味を見出していない)。そのような仕事には熱意も無く、説得力もありません。自分の心にエネルギーが無いのに、人の心に訴える仕事は到底できないと思います。そして、そのような仕事をしている人というのは、生きていない。つまり仕事においては「自分を生かしていない」ということになると思います。ですから結果的に人は、「信じていないと、生きる(自分を生かす)ことは難しい」と僕は思います。これは仕事以外でも全く同じことかもしれません。

さてこのブログを通して色々と自分の意見を書いてきました。このブログの最初に、米国アップル社、スティーブ・ジョブス氏の『たまねぎの皮』の話をしたのを覚えているでしょうか?答えに行き着くまでに、膨大な時間とエネルギーをかける価値をジョブスは語っています。それは、この不透明な時代に、すぐに答えや結果が出ないとき、人は焦ったり、迷ったり、どうしていいか分からなくなることがあると思います。しかし、その先に何か自分の信じるものがあれば、人は粘り強く努力し、諦めないで生きていくことができる。僕はこのカッパドキアという大地を通して、「信じる人間の強さと執念」を実感しました。僕もまた努力を重ね、皆様と分かち合える結果を出せることを信じて、今年最後のブログを終わりにしたいと思います。(vol.9 了)
今回は、インスピレーションをテーマにした話です。
インスピレーション【inspiration】の意味を日本語に翻訳すると、"直感的なひらめき"とか"霊感"などと訳されています。

コピーライターでも、デザイナーでも何か発想することを仕事にする人間は、どこにその発想の原点を求めるのかが重要になってくると思います。その原点とは時には、家族の温かさや、時には大好きな音楽、時にはリラックスした風呂の中や、綺麗な景色を見ること。閃きの背景には、そのような場面が、人それぞれにあるのではないでしょうか?僕自身も仕事において、閃き(直感)をとても大切にしており、それを頼りに仕事を進めることはよくあります。創造的な活動をするクリエイターは、そうしたインスパイアーされるものを、能動的に追いかけていく姿勢が、日々の暮らしの中でも重要なことだと思います。

vol8_1.jpgギリシャの首都アテネにあるアクロポリスの丘には、パルテノン神殿を含め、多くの建築家がそうした"原型"を追い求めていった場所です。僕がこのアクロポリスの丘に興味をもったのは、有名な建築家らに、非常に大きな影響を与えたと知ったからです。彼らの伝記をたどると、「3日間に渡って、この丘を毎日登った」などと記されています。

それほどまでに影響を与えるものはいったい何なのか?

そのことに僕も大変興味をもち、一度は訪れてみたい場所としてずっと考えていました。前回、オーストリアのウィーンより鉄道で南に下り、イタリアのベニスで一週間ほど滞在したのちに、航路にて約36時間かけて地中海を渡り、深夜バスに乗ってギリシャまでやってきました。深夜遅くにアテネにたどり着いたとき、丘の上にライトアップされたパルテノン神殿は大変美しく、印象的でした。翌日、期待に胸を膨らませて、多くの旅行者に混じってこの丘を登りました。すると、荒々しい無骨な姿のパルテノン神殿が大空を背景に姿を現しました。理性として、この建築が大変、重要な意味があるのは分かるのですが、感覚的に、このような古い遺跡をどう評してよいものか、あまり分からなかったのが僕の正直な感想です。

vol8_2.jpgしかし、このアクロポリスの丘にある建築物は、イメージの原型としては、大変奥深く、素晴らしいと感じました。人間にとってアイデアというものは、実は"模倣"にすぎないといいます。これは、何かを考えて、構築(表現)するという行為は、人が生まれてから、見たり、聞いたりしたものがベースにあるという考えです。クリエイターが、多くの写真集や作品集を日課として目にするのも、そうしたベースとなる経験を蓄えることが重要だからでしょう。そうした視点で考えると、学びの参考となる作品自体が、あまり商業的に手がこんだものや、作り手の意図が強すぎるものは、却って受け手のイメージを阻害し、創造性を邪魔するのではないかと思います。そうした観点から考えると、アクロポリスの丘は、創造性溢れるパワーを強く与えてくれますが、さりとて受け手のイメージにほとんど制約を与えることはありません。おそらくこれ以上の"原型"は世界にそうないのではないかと思いました。多くの建築家を惹きつけたのは、そのような理由かもしれません。

クリエイターにとって発想することは、仕事としてとても重要なことだと思います。その発想の源流を枯らさないためにも、暮らしの中に、良い原型を持つように心掛けること。そして、ときには追いかけていく熱意も必要なことではないかと僕は思っています。そういう努力をしている人間にこそ、ある日、コロンブスの卵のような"霊感"が降りてくるのかもしれません。99%の努力と1%の閃き。素晴らしい発想には熱意が一番大切なことなのでしょうね。(vol.8 了)
今回で7回目のブログになる訳ですが、
この旅ブログが皆さんにとって、自分にとってどういう意味があるのか、
一度、整理してみた方が良いと思う。
 
単なる旅行記を書くなら、別にこの場を借りなくたってよい。
また、もっとビジネスに寄った実用的な意見や考えを伝えるなら、
このようなまどろっこしい仕立てにする必要など全くない。
 
僕の旅の話も、そろそろ終盤に近づいてきているから、
最後の目的地である、ベナレスまで書き上げたい自分の気持ちはあるが、
僕は自分の伝えたいことを随分と遠回りして書いている気がする。
このブログをプロフェッショナルブログとするなら、かなり婉曲的だ。
 
しかし、新任社長の気持ちとすれば、話の内容に余計な尾ひれが付こうとも、
自分がどんなことを経験し、考えてきた人間であるかを、社員の皆さんに少しは知って欲しい。
そして自分の経験から言えば、若い頃にどんなことを考え、取り組んできたかは、
自分の将来を形成する上で、非常に重要なことであると伝えたいと思っている。
30代の今、自分の身の回りに起こるあらゆる状況は社会的な成功も含め、
20代をどのように生きてきたか?の一つの結果である。
それは40代も、50代も含めそのような前提で、人生が築かれていくと思う。
 
自分が若い頃は、色々な国に飛び出して行った。
それはできる限り、様々な本物に触れることで、多くの経験をし、感じることを追求したかった。
それによって自分の本性が磨かれて成長するのではないかと思ったからだ。
そのことは、皆が憧れるような社会的な成功とは全く別のベクトルだと思う。
若くして250人の社員を背負う会社を任されることは、非常に名誉なことだが、
そのことで自分が幸せになれることとは関係ないと思っている。
ましてやリッチになることも、目的とは思っていない。
 
それよりも、こうした時代は自分の尺度をもって、
素の自分として生きていくことの方が、遥かに大切なことだと思う。
逆に言えば、こうした価値基準を持たなければ生きづらく、厳しい時代だともいえる。
社長であろうが、役員であろうが、ダメな人間はダメな人間だと判断されてくる。
これは社会的な立場で物事を見ないから、誤魔化しようがない。
僕は、たき工房に限らず、制作(クリエイター)の人間は、こうした判断力に優れている人間が多いと思う。
 
例えば、ある人が何か意見を言った場合、そのことの重要性が評価されるかどうかは、
何を言ったか?の内容ではなく、誰が言ったか?と人を見られている気がする。
それは制作の人種の鋭い特性で、言葉以上にはじめから人の本質を見抜いている気がする。
クリエイターで凄い人ほど、会えば意外とどこにでもいるオッサンに見える。
こうしたことは、本当に凄い人というのは、腰も低く、自然体であるのだと思う。
それは、ある種、立場に執着する必要のない、人間的な自信でもあろう。
 
僕は最終的に、そうした基盤を人間として作り上げていくことが、
真の教育であり、考えていかないといけないことだと思っている。
小手先で、結果を得る、合理的手法は、日常の中で語り尽くしているので、
そのことばかりを、ブログでも発信していくのは、何だかアホらしい。
感性鋭いクリエイターの集まっている会社の社長なのだから、
自分も直感を大切にし、できるだけ本質を語っていきたいと考えている。
プロとしてオファーのある人間になっていくには、そうした本質こそが大切ではないか?

社会人になって、今、思うことは無駄なことをしていて本当に良かったと思う。
最近はとくに、その無駄なことこそが、全部、必要なこと、財産だったと感じる。
僕は、そういった、自分のやってきたアホなことを、たいそう真面目に、このブログで語っている。
表現することは、どんなことも、究極的には恥ずかしいことだと思う。
万人が評価する表現は、きっと流行のポップスのように耐久性がなく価値が薄い気がする。
250人のうち、数人の人が、時には参考になったと思ってもらえれば僕としてはとても嬉しい。
なので、もう暫らく、このブログは続く・・。(vol.7 了)
皆さま、お疲れ様です。
暑かった夏もどこへやら?すっかり涼しくなりました。
急な気候の変化で、風邪などに気をつけてください。

さて、今日で6回目のブログとなります。
これまでは僕が見てきた建築を中心に"ものづくり"について考えてきました。今回は一歩進めて、"都市"を題材に発信したいと思います。僕はヨーロッパの都市の成り立ちに興味を持った時期があります。建築に興味を持ち、そのことが私たちの生き方や価値観に、どのような影響を与えているのかを考えていくと、次第にその対象は都市へと目が向けられていきます。建築家の中でもとりわけ巨匠と言われている建築家のほとんどが、やがては都市論を展開していく傾向があります。そのことは建築自体が持つ機能や目的を突き詰めると、最終的にはその建築が置かれる場や環境を意識するのは当然なことだと思います。
 
vol6_1.jpgこのブログで何度も登場した、ル・コルビジェも『輝く都市』という本を執筆し、人々が生きていく上でのユートピア(理想郷)とは何なのかを言及していくようになります。つまり、それだけ人間が生きていくうえで都市のあり方は大変重要なものがあり、人々の価値観や成長、場合によっては精神性にも大きな影響を与えるものだと思います。そうした観点で考えると発展した都市、新たな人々のエネルギーを生み出す都市というものは、その都市自体が魅力的であり、人々の生き方を後押しする仕組みが機能しているのだと思います。
とりわけヨーロッパでは、フランス、パリのオスマン計画によって設計された都市開発は、人と自然、新旧(近代と歴史)の融合をテーマに、美意識の高い都市構造に練り上げられています。パリが芸術の街として、名だたる芸術家に愛され、創造性溢れる芸術が生まれた背景には、そうしたバックヤードがアーティスト達には必要だったからに違いありません。つまり人々が創造性を発揮していくには、"場"そのものがどうあるべきなのか?という視点も、"ものづくり"を考えていくうえでは必要な考え方なのではないかと思います。
 
そうした観点で都市を見ていくと、僕が注目した都市が1つあります。
それはオーストリアの首都ウィーンです。僕がウィーンにやってきたのは、前述したモナコからイタリア、ミラノを経由して、東欧への玄関口としてこのウィーンを通り抜けようとしたときのことです。ウィーンの街には1つ大きな特徴があります。それはリング・シュトラーゼと言って街の中心部を円形に取り囲んでいた城壁を、19世紀末に取り壊して道路に変えてしまったという経緯が、この街の構造の特徴となっております(以下、実際の地図です)。


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もともとは城壁を境に富裕層と労働者階級の暮らしが大きく分断され差別が存在していました。これを無くし"道"に変えてしまったことで、そこで暮らす人々に非常に大きなインパクトを与えることになります。そして、この都市構造の変遷こそがウィーンの文化創造への大きな触媒となっているとの見方がされているのです。
事実、この出来事以降にウィーンは歴史的に、かつて無いほどの文化的な爛熟を遂げます。『世紀末ウィーン』とも評され、歴史上、名立たる人物を続々と輩出していきます。美術ではグスタフ・クリムト、建築ではオットー・ワーグナーやアドルフ・ロース、音楽ではグスタフ・マーラーやブルックナー、文学ではカフカ、哲学ではヴィトゲンシュタイン。そして心理学ではあの有名なフロイトもこの時期のウィーンを経験している人物です。

vol6_3.jpgこうしたことと、ウィーンの都市構造の変遷にどれほどの因果関係があったのかは、僕も何ともいえないのですが、想像するに人間の創造性を喚起する原動力を、この街が生み出していたことは間違いないと思います。当時を振り返ると、人と人の行き来を遮断していた壁が、突然に道(導線)に変わってしまったことを、おそらく皆が歓迎した訳ではないと思います。なぜなら壁というものを介して、富裕層には利得権益も同時に守られてきた側面があったはずです。おそらく最初は、コミュニケーションどころかコンフリクト(衝突)となって、人々の意識に大きな課題を与えたに違いありません。しかし、文化的な発展の過程には、こうした望まない、他者との確執を乗り越えることによって、それまで自分が持っていなかった価値観が生まれ、それが新たな躍動を遂げるきっかけになったのだと思います。これと似た事例はウィーンだけでなく、日本も経験しています。黒船の来航による文明開化がそれです。割と最近では、ドイツで89年に起きたベルリンの壁の崩壊も類似の事例かと思います。

こうした事例を考えていくと、創造性にとって大切なことは、必ずしも皆にとって居心地の良い環境ではないということです。望まない他者との融合、場合によっては精神的な闘いを強いられるような厳しい環境の方がむしろ長い目で見れば発展を遂げる可能性があるということです。つまり、クリエイターは自分を成長させようと思えば、楽をできる環境に身を置いてはいけないと思います。むしろ変化を強要されるような厳しい状況に挑んで進む姿勢こそが必要なことではないかと思います。

そして、会社としても挑戦していくことを大切に考え、将来を見つめたうえで、ある時には変化を強制する体制や仕組みを導入することも必要なことではないかと思います。ウィーンという都市は、そんなことにも気付かせてくれる素晴らしい都市だと思い、紹介させて頂きました。今回は以上です。(vol.6 了)

それでは5回目のブログです。

残暑が厳しく、なかなか辛い毎日が続きますが皆さんいかがお過ごしですか?
今回は夏休み企画としまして、少し寄り道をした話しをしたいと思います。
ちょっと長いので、暇なときにでも読んでください。

前回、バルセロナ滞在の後、僕は南フランスを旅することになります。南仏と言えばアルルにあるゴッホの跳ね橋や、映画の祭典が行われるカンヌなど色々と素敵な場所がありますが、僕がどうしても行きたかった場所は港町であるマルセイユです。なぜここに行きたかったかと言えば、ここにはル・コルビジェの代表作であるユニテ・ダビタシオンがあるからです。この建築は集合集宅を一つの巨大な船に見立てて、この中だけで人間の生活の全てを完結しようという発想で考えられた、彼の作品の中でも非常に凄いもので、僕はこの建築を見ることをとても楽しみにしていました。

バルセロナから鈍行列車でマルセイユに到着した時間は夕方。

そろそろ日も暮れようとしはじめており、急いで今晩の宿を探さなくてはいけません。ですが、どこのホテルを訪ねても満室です。次第に痺れを切らした僕は、もし次の一軒を訪ねてもダメだったら、このマルセイユは立ち去ろうと心に決めます。意を決し最後のホテルに向かったのですが、やはりそこも満室。とうとう僕は頭にきてマルセイユをパスしてニースに向かおうと決意したのです。

ニースといえば南フランスを代表するリゾート地。

ニースには一つの甘い誘惑がありました。ここには有名なトップレスビーチというものが存在するのです。これまですれ違ってきた南から来た男性諸君の噂では、これは"一見の価値あり"との有力情報です。そんなことで、僕の旅の目的は一転、ル・コルビジェからトップレスビーチに置き換わったのです。ニースに到着したのは深夜。翌日、はやる気持ちを抑えて浜辺へ向かった僕は愕然とします。なんとシーズンはすでにとっくに過ぎており、浜辺にはカモメしかいません。しかも連日の雨で、荒涼とした虚しい雰囲気が漂っています。そのときの写真がこれです。ニースには3日間滞在したのですが、季節外れで旅人もほとんど居らず、悲しいくらい孤独な3日を過ごしました。毎晩、1人で飲んだハイネケンの味は今でも忘れられない寂しい味です・・。

vol5_1.jpgさて、気持ちを取り直して僕はモナコに向かいます。

モナコといえばあのF1で有名な場所。カジノがあって世界中のお金持ちが集まる華やかな場所です。モナコに到着した瞬間、空は晴れ渡り、海は美しく、豪華客船がズラリ。何かとても素晴らしい場所に来たと直感します。ニースから一転、気分は一気に高揚します。そのモナコのユースホテルで僕はある日本人の旅人に出会います。名前はNくん。彼はまだ20代も前半の青年です。彼には一つの"目的"があります。それは日本に帰りレストランを開業したいという夢です。そのために彼はフランスを中心にミシュランの三ツ星レストランを回って修行の中、このモナコに来たそうです。そして彼の凄いところは三ツ星レストランを回るための食事代として相当な資金と、正装としてのスーツと革靴をこの旅に持参してきているところです。通常、バックパッカーは汚らしい格好の人が多いのですが、彼には夢と目的があり、そのような旅支度を準備したのでしょう。

そんなNくんと意気投合した僕は、彼からある誘いを受けます。それは「カジノへ行ってみよう」という誘いです。それも誰でも入れるようなカジノではなく、ある一定の装いをしたお金持ち専用のカジノに行きたいとのことです。そうしたところは、通常、正装した人しか入れない場所です。ところが彼には三ツ星レストラン用に準備した「スーツ&革靴」があるのです。そうした彼に誘われ、僕はモナコの中でも非常に高級なカジノへ足を運び、彼の賭博を応援することになったのです。

vol5_2.jpgスーツの無い僕は自分も一緒に入れるか不安だったのですが、どうにか彼の後ろに小さくなりながら入場することができました。そのカジノはモナコの中でも一等地の、豪華な洋館のような建物の中にあります。中に入ると静寂の中、ルーレットを中心に客が周りを取り囲んでいます。いかにもお金持ち風の客層の中に意外にも若い少女のような子がルーレットに参加しています。その少女のお金の賭け方が半端でなく、凄い金額を次々とベットしていきます。きっとどこかの大金持ちのお嬢様が遊びに来ているのでしょう。そうした怪しい雰囲気の中に、そのNくんが突入していき、大胆にもベットしていきます。ルーレットには赤か黒という単純な賭け方もあれば、限られた数字を予測するというピンポイントでの賭け方など色々とあるのですが、Nくんの賭けはことごとく予測を外れ、彼の旅の資金は次々と消えていきます。熱くなった彼は、その資金を取り返そうとブラックジャックやスロットマシンなどで挽回に掛かりますが、何をやっても勝てず、とうとう旅の資金の相当な額を失ってしまったのです。落胆したNくん。彼はカジノの厳しさを体感し、また自分の行動が旅の計画を狂わすような事態に陥ったことに後悔をします。

vol5_3.jpgところが、そのNくんが大変なことを言い出したのです。

「明日、この負けを取り返したい!協力して欲しい」。このことにはさすがに僕も驚いたのですが、彼の目は本気です。そして、僕は彼と勝負に出ることを決めたのです。そしてそこに向け綿密に作戦を練ることにします。それはまず何で勝負するか?彼と導き出した答えは"ブラックジャック"。ブラックジャックは非常に単純なゲームで手元の合計で21に近いカードを親であるディーラーより持つことができれば勝ち。そうでなければ負け。勝率は運だけで考えればディーラーと1対1で勝負するので、勝てる確率は比較的高い。あとは流れから確率を読む高い集中力が大切になります。事実、ブラックジャックに関してはNくん負け越したものの、途中では一旦、自分の流れをモノにするという状況もあり、彼の中で手ごたえもあったのでしょう。さらに、そこに僕が彼をサポートする。判断に迷った時にはダブルで判断する。僕は彼の後ろに待機し、後ろからアドバイスを送るという作戦です。これによりNくんの大胆さ、僕の冷静さを組み合わせて勝率を上げていこうという考えです。

翌日の夕刻、腹ごなしをしていざ決戦です。まずは相性の良さそうなディーラーを選定します。ディーラーの力量や相性によって当然、勝率は違ってきます。Nくんは一つのテーブルに目をつけ、ゲームを開始。その斜め背後に僕が立ちます。ゲームがスタートします。この作戦が功を奏してか、Nくんは順調に勝ち続けます。Nくんはペースを乱さず、大胆にベットの額を上げていきます。Nくんはリズムを掴んだのです。ディーラーはNくんの集中力を切らそうと、どんどんゲームのスピードを上げていきます。それでもNくんは勝ち越していきます。Nくんのテーブルにはコインの山ができはじめます。テーブルで起きている異変さに近くの客も気付き、人だかりができ始めます。そして周囲が異様な熱気に包みこまれます。そのときです。背後でその様子を冷静に見ている別のディーラーが入ってきます。ここでカジノ側が動いたのです。ディーラーの交代です。新しいリズムとゲーム展開が始まります。それにより少しずつNくんのペースが乱れていき、負けも増えてきます。しかし、一進一退の攻防が続きます。そこで、またさらに別のディーラーが入ってきます。今度は明らかに先ほどのディーラーより腕利きのベテランです。ゲームの展開のスピードがますます加速していきます。明らかにNくんの劣勢。Nくんの顔にも疲労の色が見え始めます。大きな負けが2回続いたところで、僕が背後から彼の腕を止めます。Nくんは振り返り、僕の目を見ます。僕は何も言わず小さくうなずきます。ゲーム終了の合図です。彼はテーブルから降りることをディーラーに告げます。ゲームセットです。

そして、大勝です!

vol5_4.jpg昨日の負けを十分、それ以上に取り返したという結果です。信じられないという気持ちと、興奮を抑えきれない様子で僕らはカジノを後にします。その晩、2人で祝杯をあげたのは言うまでもありません。もちろん彼の奢りです。気持ちの良い酔いの中でNくんは自分の夢を語ります。「いつか東京でレストランを開業したら来て欲しい」。そういって彼は僕にアドレスを渡してくれました。翌日、僕はモナコを去り、それっきり彼には会っていません。でも大胆な彼の性格と、屈託ない明るい彼の人柄を考えればきっと、どこかで夢を叶えているに違いありません。

ヨーロッパを旅行しているとこうした若者が多く、色々な旅人と夢を語り合い、刺激し合うことが多々あります。きっと皆、"目的"があるもの同士だから、波長が合い語り合えるのだと思います。ですので、たき工房の若い人達もぜひ、自分の夢を大切にし、目的を持って大胆に行動して欲しいと思います。そのことがきっと、新しい出会いや、チャンスが生まれることに繋がると思うのです。そして、時には「ちょっと寄り道」もいいかもしれません。旅は道連れ、世は情け。そんな出会いも悪くないものです。

今回は以上でした。長いな~。(vol.5 了)

それでは4回目のブログです。
蒸し暑い日々が続きます。皆さん、体調はいかがでしょうか?

今日はあまりにも有名なアントニ・ガウディ作のサグラダ・ファミリアの話しです。
これも、たき工房に入社する前の話しで、ヨーロッパ・アジアを渡り歩いた初期の頃の話しです。

vol4_1.jpgパリ周辺で10日間ほどの観光を満喫した僕は、あの有名なガウディに出会おうと、夜行列車に乗ってパリから一路スペイン、バルセロナを目指しました。当時、ガウディに対する予備知識はほとんどなく、現地に到着してまずその実物を見た時に、イエス・キリストの姿が刻まれているのを発見し、「これは"教会"であった」とはじめて知り驚いたのを覚えています。

バルセロナにはサグラダ・ファミリアの他にもカサ・ミラ、カサ・パトリョ、グエル公園など数々のガウディの作品があり、そのどれもが正に奇才と呼ぶに相応しい素晴らしい創造性の産物となっております。さらに特徴的なのが当時の時代の流れや、過去の建築物とも全くの異質で、唯一無二の独自性に溢れており、そういった意味で当時の建築の流れをほとんど汲んでおらず、他の作品の模倣によりその建築が誕生した訳ではないようです。

後に少し調べてみますとガウディは幼い頃からの自然物に対する精緻な"観察"を続けた結果、構造からその表現にいたる技法を自分で考えつき、このような誰も真似のできない創造物を次々と生み出していったようです。サグラダ・ファミリアの地下には、この建物の構想段階の模型が展示してあり、一種異様な当時の実験風景がうかがい知れます。つまり、サグラダ・ファミリアは建物の容姿だけでなく、その構想段階から過程にいたるまで基本的に彼のオリジナルであり、まさに"天才"と呼ぶに相応しい人物であったようです。こうしたガウディの功績は前回、紹介しました近代建築の巨人ル・コルビジェにも随分と影響を与えたそうです。

vol4_2.jpgしかし、このサグラダ・ファミリアの最も恐るべき点は近代初期の1882年の着工から未だ完成せず、予定ではまだ250年あまりの歳月が必要とされるという点です。現在、墨田区で建設途中の東京スカイツリーがおよそ5年程度で完成することを考えれば、その歳月はいったい何倍でしょうか?

通常、建築物というのは必ず目的をもって作られるものであり、その用途を満たすことが建築を決めるおもな理由となります。ところが、このサグラダ・ファミリアは違うようです。着工以来、この建築をひたすらにつくり続ける"プロセス"にこそ大切な意義があるように感じます。建設途中の建築にどうしてこれだけの人が集まり、多くの人々を魅了するのか?

それはガウディの思想を引き継ぎ、今もなおつくり続け、日々成長し続けているという生の現場に触れる。そうした現場に立ち合い、時間を共有することが人々に夢を描かせ、この建築をひと目見たいと思わせる所以ではないでしょうか。

vol4_3.jpgさて、今回のテーマで僕は"プロセス"に着目してみたいと思います。

通常、仕事には目的があり、その手段に位置するものがプロセスであります。仕事というものは結果こそが重要ですから、そのプロセスがどうであれ結果が悪ければ、その過程(プロセス)は意義をなさない。そのプロセスがどうであったかなど評価に値しない訳です。つまり、私たちの経済社会においてはスピードと効率こそが重要視され、いかに上手くゴール(目的)にたどり着けるかが最重要であり、そのことを追求することが企業の競争原理となる訳です。

ところが、このサグラダ・ファミリアは、私たちに違った解釈を与えてくれます。

私たち、ものづくりに関わる一員は目的だけでなく、こうしたプロセスを大切にする考え方を失ってはいけないということです。とくに私たちの携わる広告業界の仕事はクライアントから一定の予算を頂き、モノを売る目的のために、決められた時間の中でその仕事を完了しないといけません。そのことは、ものづくりに関わる私たちにとっては適切な環境とは言い難く、むしろ厳しい状況に対峙しています。しかしプロダクションとして、ものづくりに関わる人間として、そうしたプロセスを大切に考え、周囲と時間を共有し、仕事に夢をもって生きていく。そうした気持ちを忘れてしまっては、本質的に良いものを生み出すという発想からはどんどん遠ざかっていきます。良いものを生み出したいという欲求は、必ずしも限られた時間の中だけで答えを要求するのではなく、自分と向き合い、更には無限の可能性を追求していく探究心。そういった関わり方をしなければ、良い仕事(作品)は生まれてはこないと思います。つまり言い換えれば、私たちにとっては"プロセス"にこそ本質があり、目的そのものであるとも言えるかもしれません。

今は尚更、経済状況も厳しく求められるハードルも日に日に高くなっている気がします。ですが、こういうときでも、再度、自分達のスタンスを見つめなおし、強い精神力をもって、自分たちの仕事に立ち向かっていく。サグラダ・ファミリアはそうしたメッセージを私たちに強く訴えかけている建築に他ならないと感じます。

今回はこれでおしまいです。何かの参考になればいいと思いますが・・・。(vol.4 了)

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ABOUT

宮本 力

株式会社たき工房
取締役社長
宮本 力

73年生/大阪府出身/甲南大学法学部卒業

グラフィックデザインを軸として、WEB、プランニング、コピーライティング、プロデュース、CIなどの専門性の高い部署や多彩な人材が揃っているため、これを高次元で融合していけば、必ず『優れたソリューション力×高品位なデザイン力』が実現でき、人に、企業に、そして社会に、大きく貢献していけると確信しています。デザイン会社としての原点を見つめながら、課題解決型の広告会社へ。私たちは、新しいビジョンと共に、この先を邁進します。

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